Weird & Beautiful

日々の学びと写真に関するブログ

【書評】「魔法の世紀」(落合陽一)のレビュー

魔法の世紀

パラダイムシフトはすでに起きている。

そんな時代の中でどう行きていくべきかを落合陽一が語る。

評価:★★★★★(5/5)

 

学びと感想

最近メディアでの露出も多い、研究者でもありメディアアーティストでもある落合先生の本。

落合先生は文脈のゲームではなく原理のゲームで戦うことを勧めている。サイエンス、ビジネスどちらも経験しているからこそ思うが、既存のモノに乗っかってプラットフォームを作るよりも、新たな概念としてのプラットフォームを作り出すほうが圧倒的に価値が高いしワクワクする。この原理性にこだわった生き方には激しく賛成だ。

結局は何が面白いと思うのか、何に夢中になって人生を掛けられるかを自分なりに決めることが今後生きていく上で重要だと思った。そのために知識や経験をインプットし、考えやアクションのアウトプットをアップデートし最適化していかなければならない。

結局人間の欲求は今後知識欲に行き着くと思うので、思考し続けることで、何が面白いのか、何が全体最適なのかを常に考えていきたい。

 

引用

p.21
魔法には無意識性(唯一の虚構性)がある。

 

p.25
非メディアコンシャス=物語の中の魔法のように、日常生活での空気のようにメディアが意識されない世界

 

p.34
「象徴的機械」という発想からの脱却をすべき。
象徴的機械=時代を象徴するようなデバイス
スマートフォンを使って何をするかではなく、コンピュータとはいかなるものかという本質を考えて、身の回りの生活や体験がそれによってどう変革されるのかを思考することが重要。

 

p.65
人間も自分たちをより確実に生存させるべくコンピュータを使っているうちに、気がつけばコンピュータにとってのミトコンドリアになっていくのではないか。

 

p.89
もはや「文脈のゲーム」は飽和しており、それで多くの人々を感動させるのは難しくなってきているのです。その時に僕たちは、20世紀に弱体化していた「心を動かす技術」としての「原理のゲーム」を、再び必要とし始めたのかもしれません。

 

p.92
「映像の世紀」の大きな特徴は、表現とメディアを分離させたことです。

 

p.113
とりわけここから先のアーティストに必要なのは、表現のスロット自体をアップデートしていく技術です。
新しいプラットフォームやインフラの再構成が起きることで、優位性を手に入れたのです。

 

p.118
どう問題を作り、(発見・定義し)、どう問題を解決するか。

 

p.119
一回のデモで実証されたとされる従来の研究では、もはやインパクトを与えないと考えています。それが実際に世の中の問題の解決手段としてワークするものになっていなければ、価値がないという考えを採用したのです。

 

p.142
それに対して、この製品があれば、ここでも使える、あそこでも使える…と、他の膨大な数の体験に製品の価値を掛け合わせていく発想が「掛け算の製品」です。

 

p.144
エクスペリエンスとは、一つの重要なキーワードです。エクスペリエンスドリブンの製品は、単に体験を生み出す装置という意味にとどまらず、コンピュータのサポートによる表層と深層の一致の中で、生活や社会の中にある問題を解決していくための装置にもなっていくはずです。

 

p.156
結局のところ、メディアの歴史というのは「自由度」が高くなる方へと進化してきたということです。

 

p.179
コンピュータが制御するモノとモノ、あるいは場と場の新しい相互関係によって作られ、人間とコンピュータの区別なくそれらが一体として存在すると考える新しい自然観そしてその性質を「デジタルネイチャー」と呼んでいます。

 

p.215
最初にどうやって「楽しむ」ためよ舵きりを与えられるのかが、モチベーションを作る上では極めて重要です。そして、この姿勢を決める最も原始的なところは、人間のフェティシズムからしか出てこない。

 

魔法の世紀

魔法の世紀

 
魔法の世紀

魔法の世紀